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2014年01月28日
語り部のいなくなる戦争体験
とてもインパクトのある歌でした。
齢90半ばになろうという男性利用者様が時々口ずさむ歌なのですが、低音のしぶい歌声もさることながら、その歌詞にいつも驚きました。
『もう友達は皆先に死んでしまったから、あの頃を知る人間も少なくなったよ』
『あの頃』
そう、大東亜戦争の頃です。戦争が1941~1945年ですから、既に70年程過去の事です。
この方が戦地に赴いたのが20代とのことですから、戦場に行った経験のある方は日本ではもう本当に少なくなってしまったのではないでしょうか?
そんな貴重な戦争体験をいつも聞かせて頂いていたのですが、その頃の事を後世の人にも知って欲しいと歌詞を考え、自作した歌がその歌なんだそうです。そんな歌がいくつもあるそうです。
そこでお願いして、その歌の一つを忘れないように歌詞を書いてもらいました。
御本人にも許可をとったのでその歌詞を載せてみました。
「思い出します 大東亜戦争 ああ、堂々の輸送船
うじな(島)を後に 海原を ああ 着いた所はニューギニア
昼なお暗いジャングルを 切り開きつつ進み行く 我ら△△自動車隊
ああ 丸にうの字が目に浮かぶ パシルプテイヤ レンダニ ワルパミ河を乗り越えて
タピオカ芋やさつまのうどん 蛇やイノシシ 火食い鳥
南の国のバイキング ああ
忘れられぬ南の島 忘るるなかれ南の島 忘るるなかれ南の島
戦友よ 安らかにお眠りください」
この方は、戦地にて戦闘には遭遇せずにすんだとのことですが、ジャングルでの生活は歌詞にあるように蛇や蛙を食べたりする過酷なものだったそうです。
終戦しても、それが部隊に伝わり帰国するのに一年以上かかったと言っていました。終戦が敵国のデマの可能性があるとのことで、穴倉に身をひそめて畑から作物を盗んで飢えをしのいでいたそうです。
他にもたくさんの話を聞かせて頂きましたが、つい先日の事のように細部まで詳しく話される話は、戦争を知らない自分達にとって、とても生々しくリアルに感じるものでした。
昨今、日本がそのうち再び戦争に突入しないとは限らないと危惧する声が聞かれてます。
かつての戦争を実際に体験した方々が少なくなってきたのも影響しているのではとも感じます。
こうした当時の貴重な体験談を聞ける事の大切さを忘れないでいたいと思います。
齢90半ばになろうという男性利用者様が時々口ずさむ歌なのですが、低音のしぶい歌声もさることながら、その歌詞にいつも驚きました。
『もう友達は皆先に死んでしまったから、あの頃を知る人間も少なくなったよ』
『あの頃』
そう、大東亜戦争の頃です。戦争が1941~1945年ですから、既に70年程過去の事です。
この方が戦地に赴いたのが20代とのことですから、戦場に行った経験のある方は日本ではもう本当に少なくなってしまったのではないでしょうか?
そんな貴重な戦争体験をいつも聞かせて頂いていたのですが、その頃の事を後世の人にも知って欲しいと歌詞を考え、自作した歌がその歌なんだそうです。そんな歌がいくつもあるそうです。
そこでお願いして、その歌の一つを忘れないように歌詞を書いてもらいました。
御本人にも許可をとったのでその歌詞を載せてみました。
「思い出します 大東亜戦争 ああ、堂々の輸送船
うじな(島)を後に 海原を ああ 着いた所はニューギニア
昼なお暗いジャングルを 切り開きつつ進み行く 我ら△△自動車隊
ああ 丸にうの字が目に浮かぶ パシルプテイヤ レンダニ ワルパミ河を乗り越えて
タピオカ芋やさつまのうどん 蛇やイノシシ 火食い鳥
南の国のバイキング ああ
忘れられぬ南の島 忘るるなかれ南の島 忘るるなかれ南の島
戦友よ 安らかにお眠りください」
この方は、戦地にて戦闘には遭遇せずにすんだとのことですが、ジャングルでの生活は歌詞にあるように蛇や蛙を食べたりする過酷なものだったそうです。
終戦しても、それが部隊に伝わり帰国するのに一年以上かかったと言っていました。終戦が敵国のデマの可能性があるとのことで、穴倉に身をひそめて畑から作物を盗んで飢えをしのいでいたそうです。
他にもたくさんの話を聞かせて頂きましたが、つい先日の事のように細部まで詳しく話される話は、戦争を知らない自分達にとって、とても生々しくリアルに感じるものでした。
昨今、日本がそのうち再び戦争に突入しないとは限らないと危惧する声が聞かれてます。
かつての戦争を実際に体験した方々が少なくなってきたのも影響しているのではとも感じます。
こうした当時の貴重な体験談を聞ける事の大切さを忘れないでいたいと思います。
Posted by グループホーム さら at 21:09│Comments(0)
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